落ち込んだ時に開くもの
 
 
ここ一週間くらい、ちいさな負の材料が重なって、ちょっと精神の輪郭がぼやっとしていた。久々に向精神薬をのんだのが物理的な証拠である。とつぜん旅行に出かけるが宿で眠れないという、10年前に鬱を自覚した旅行をまた再現したりしてる。あの時も、今回も、雨だった。天気まで再現してる。

ただあの時と違うのは、あの時は僕のまわりの全てが、お金が、仕事が、人間が、すべてが下の方から僕にぶら下がっていた。今は違う。いま僕の周りに手を伸ばせば、たいてい上から引っ張りあげてくれる。今日は約束飲みに行き、美味しく、楽しく、すっかり持ち上がって帰ってきた。頭痛も無いしノドも痛くない。温かいスープと一口の甘いモノを食べ、布団でDVD見ながらいつの間にか寝てしまおう。明日は何にも予定がない。12時間くらい寝てしまおう。


今の僕の中にこんなに怒りがあるとは思えないのだが、夢の中で逆上して罵声を吐き、モノに当たり人に当たる、その怒りの原因を作っているのはいつも一人の人だ。その人じゃない場合は、その人の配偶者だ。もう縁を切って20年以上経つのに、いまだに夢に現れては僕を苦しめる。その人(たち)を夢のなかで殴り蹴りしようとするが気持ち良い手応えがない、その代わりに、現実の壁がドン!と音を上げ、僕の足が痛くなってることに気がつく。またか。

ヒザの痛さなどどうでもいいくらい、心臓の動悸がすごい。もうちょっとしたら心臓麻痺になるんじゃないか。

どうしてそこまで怒るのだろう?じっさいにその人(たち)を殴ったことはないし殴ろうとも思わなかった、が、溜め込み過ぎた感情がいまだに溢れ出してきているようだ。。。ん?でも起きてる時はもうほとんど思い出さないし、あの人たちの人間としての位置づけはもう納得がいっている。つまりもう気にする存在じゃない。なのにときどき夢に現れては、いったいいつまで僕を苦しめるんだろう。

そんなことを考えながらたぶん15分くらいでやっと心臓が落ち着いてきた。もう寝られないのは分かってるが、心臓が酷すぎて起き上がれもできなかった。

枕元の携帯には、最短操作で表示できるようになっている幾つかの写真と動画と音楽とブログが有る。気持が落ちた時、それを見ればそのどれか一つは僕の輪郭をすこしシャキッとしてくれる。それらのデータが入ったフォルダの名前は「落ち込んだ時に開くもの」。あまりにそのままだ。そしてかなり最強だ。心臓が静かになっていくのを確かめて、布団を出る。

パソコンのある部屋から光が溢れている。電気を消してなかった。ま、それはいつものことだ。椅子に座って落ち着く。空気がスッとしていてこの部屋はやっぱり気持ちがいい。この部屋はすべてが素直に機能してくれる。僕が正しく扱えばソレ以上に良い結果を出してくれるし、思った通りに上手く動いてくれない時はそれはいつも僕の実力不足である。

あの人たちは、うまくいけば自分の手柄で、思い通りにならない時は自分のせいではないと主張し、他人に八つ当たり、感情論になる。そしてすぐそれを忘れて、同じミスを繰り返す。それが許せなかった。そしてあのひとたちは自分の間違いを証明するかのように普通よりは随分早く人生を終えた。小さい虚栄に満足することはあっても、本質を何も解ってない、いつも怒っている人たちだった。





とつぜん頭のうえのほうでプシューという音がした。エアコンが、冷房がかけたままだった。秋の夜中に・・・2015年11月16日深夜28時20分。10年前の不眠症のとき、必ず朝4時半に起きていたのを思い出す。何時に寝始めても必ず4時半に目が覚める。そしてネット上の不眠症サイトが賑わうのも、朝の4時すぎだ。



なんなんだ、4時半って。







by nopain-nogain | 2015-11-17 04:20 | 健康 | Comments(0)


<< 世の中はすべて脳障害(妄想) 暗く長い道 >>