2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録
2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_1082285.jpg
この旅行は、自分が鬱病だということを初めて自覚した、そしてこのブログをスタートするキッカケになった大切な旅行です。10年以上たった今でも、この旅行について考えることが沢山あり、全部書こうとしたら、つまり「このブログの記事全部がこの旅行につながってる」っていうくらい、そういう旅行です。

鬱病も克服し幸せになったいま、近いうちに当時の旅路を再訪し、昔と今を比べながら回顧録を書こう・・・と思っているうちに、宿泊した旅館が廃業してしまったので、キッカケを失っていました。

先々月の5月、親友(悪友)のT山さんとの快気祝いイベント(文末に記載)が終わって気持ちが一区切り。いま時間も気持ちも余裕あるし、このさきまた書くタイミングを失いそうなので、書くなら今がちょうどいいなと思いました。

というわけで、伊豆・河津旅行の回顧録です。

その前に、2005年3月にアップした当時の記事「生まれて初めての経験」を読むのも良いかもしれません。この記事で「詳しくは今後アップする」と言ってますが、詳細(真実)を書くのに12年もかかりました。


では、回顧録スタートです



2005年。独立して始めた仕事は激務。彼女の浮気発覚と相手男性(妻子持)からのイヤガラセ、別の女友達がストーカー化、金銭トラブルなどなど、悪い出来事が重なった時期でした。疲れてるのに寝れなくて常に熱があり、脳はしびれるしめまいでグルグル身体はボロボロ。でもまだ精神病とは気がついてなくて「自分の頑張りが足りないのが悪い」と思ってました。

そうはいっても心身ともに限界は感じてたので、気分転換のために温泉旅行に行くことに。なぜ伊豆河津を選んだのかは思い出せません。たぶん、行きやすい箱根周辺も嫌な思い出が重なった時期なので、さらに遠くの伊豆を選んだんだと思います。そんなふうに急に思い立って、2日後に宿を予約。初めての一人旅です。

長時間運転する予定だし、出発前日は早く寝ようとしたのですが、やっぱり全然眠れない。仕事したら疲れるし、でも「何かしなければダメだ」という焦燥感がキツかったのは覚えてます。で、けっきょく深夜、布団から飛び出し、取り憑かれたように車を発進させました。

2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_6381718.jpg
伊豆に向かう道中の24時間スーパー銭湯で、お風呂とビールでやっと落ち着きました。今夜はここで簡易に一泊します。が、やっぱり全然眠れません。仕事のことや「人はどうして裏切るんだろう」とか、そんなことをずっと何時間でも考えてました。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_6451953.jpg
翌朝、スーパー銭湯を出たのは8時ころ。箱根神社のあたりは霧がすごくて雪も残ってて運転に神経を使う、なのに一睡もしてないのに疲れを感じません(なぜならそういう病気になっていたから)。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_6494964.jpg
伊豆半島に入りました。雨です。「気ままに寄ってみるべき」「でも面倒くさそう」を何百回も繰り返し、けっきょくどこにも寄りません。助手席にチーズ。(こういうふうに単一のものを食べ続けるのは精神病の特徴っていうことを後に知ります)


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_655620.jpg
「韮山反射炉」っていう、いかにも人がいなさそうな所だったので来てみました。雨です。溶鉱炉です、下の写真の右に写ってる大砲など鉄の武器を作った溶鉱炉です。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_6565342.jpg
意外と、人いました。他人がいるとジャマだなと思いつつ、「だれか助けて」と思っていました。矛盾。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_659259.jpg
名もない散策路。今度こそ、人が居ない所に来られました。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_6594892.jpg
よくわからない写真を撮ってます。仕事の商品写真の上達のため、普段から試行錯誤してる時期でした。休みに来たのにね。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_1082285.jpg
あ、偶然きれいに撮れた。安物のコンデジで。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_715810.jpg
振り返ると何かの施設?


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_721938.jpg
バガテル園でした。いまはオフシーズン。人影が居ないとホッとします。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_724396.jpg
当時乗ってたこの車、買うときも金銭トラブルあり、修理屋さんがちゃんと直してくれないトラブルもあり。なにもかもが僕を悪くしてました。そのあと短期間で売ってしまいました。けっこう損金しましたけど、所持してるとストレスが凄かったので。あ、売るときもお金でトラブル。ほんとうにトラブルだらけの時期でした。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_713114.jpg
少し移動し、河津のみどころ、ループ橋です。

宿に近づいたころで、路上駐車でジャマな車があったので「ジャマなやつだな」と心で悪態をついてたら・・・宿についたら宿のスタッフの車でした。僕のために荷積みしてるだろう人に対して「ジャマだ」と思った僕は、自分自身がダメ人間になってることに気が付きました。落ちました。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_7145594.jpg
宿に着きました。左は窓からの見える川の風景。右は、鏡に向かって無理やり笑顔の練習をしてる自分。良い人間になれるように努力はしてるんです、でもどうみても病気の顔でしたよ。その顔写真アップして皆んなで笑ってほしいんですが、まぁデメリットもありますので、いつか機会があったら。

温泉はいいお湯で満足。夕飯は、味が濃くて進みませんでした。満腹にならなかったのと、ゴハン残したのが申し訳なくて、気持ちが落ちました。写真は撮ってなかったです。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_721368.jpg
来る途中で「どうせ寝れないから勉強しなければ」ということで本屋に寄って何冊か本を買ってありました。僕の仕事は男性向けなのですが、そればかり勉強してると思考が狭くなるので、女性誌とかで自分に足りない感覚を補うようにしてます。バッグがオレンジや赤なのも、暗黒な精神面をすこしでも明るくしようという努力。

で、写真左の黄色い袋の下にちょっとだけ見えてる本「ひねくれた人に振り回されない方法」っていう啓発本は、浮気女や金銭トラブルの人たちをどうにか処理したくて買いました。

でもこれ読んでて「ひねくれた人」って僕自身だな、と気が付きました。

2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_7442912.jpg
「他人がジャマ、だけど助けて欲しい」と思ってる僕へのメッセージ。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_7293620.jpg
読み始めた最初は「周りの人間って、こういう面倒くさい人多いな」と思ってたのですが、よく考えたら自分がそういう人を選んでたのか。自分も「ひねくれた人」の内側に立っていた。

この本を買ったのが運命的で、他人を悪く言うのではなく、自分を変えていかなければならないということに気が付きました。もともと自分成長の努力はしてますが、反省とともに大きいステップが見えたな、これから頑張ろう、と前向きになりました。この本が今回の旅のメインイベントになったなぁ・・・このときはそう思ってました。



ですが、本当のメインイベントはこのあとです。部屋の外から突然やってきます。



お酒を飲みながら本を読んで、自分を見つめ直したことで心に一区切りついたのか、眠くなったので横になったらスゥーっと眠りました。ひさびさの気持ち良い寝入りでした。。。まもなく電話が鳴りました。友達のT山さんからの電話でした。なんだろう?と思って電話に出たら「〇〇駅で待ってるよ、いつ着く?」それを聞いて僕の精神が一気にガラガラと崩れました。

1週間くらい前、僕は自分からT山さんを飲みに誘ってたのに、それを忘れて伊豆旅行に来ていた。いま、T山さんは駅前で僕を待っている。

そういうミスを絶対に許せない完璧主義者だったのに、他人を悪く言ってたのに、自分自身が約束をすっぽかしている。脳を直接金属バットで殴られたような衝撃とともに「ああ僕は疲れてるだけじゃない、他人にまで迷惑をかけている」と自分を責めました。それから脳みそがシュワシュワしてて、全身がギチギチしてて、一睡もできなかった。「ああ僕はもうダメだ」脳の中にはそれしかなかった。

昨夜と同じく朝食も味が濃い・・・はずなのだが、まったく味がしない。お腹へってたのにほとんど残した。でももう気持ちは落ちない。なぜならもう最低のどん底だから。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_7294242.jpg
あのサクラの横の小屋の影で、うつ伏せになって死んだらどうだろう。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_7294547.jpg
うんとスピード出して突っ込んで橋の下に落ちたらどうかな。

昨日来た道では、あれほど他人に対して向いていた意識が、帰路の今は感謝もなければ敵意もない。他人が「動く人形」くらいの存在になってます。感情がゼロです。止まらない涙を見られたとしても、なんとも感じませんでした。ただただ「人形も建物も壊しちゃいけない、でもコンクリートには全速力で突っ込みたい」って考えてました。


2005年3月 伊豆河津旅行 回顧録_d0002320_7301881.jpg
帰り道の写真は1枚もなく、記憶もほとんど無くて、死なずに帰宅。それから数日もまったく寝られなかった。

やっと自分の状態が解った。壊れている。金のトラブルとか浮気女とか、他人のことなんてどうでも良くなった。これから僕は鬱病と戦っていかなければならない。何年もかかるかもしれないし、もう戻れないかもしれない。それよりも、どうやって死のうか。コンビニ行くにも踏み切りが渡れない。車はアクセル全開しか思い浮かばない。どうしようもなく真っ暗でドロドロの底にいる感覚だけは、はっきりと分かりました。



伊豆・河津旅行回顧録 おしまい。






■これから数年、不眠・拒食・幻覚・被害妄想・めまい・熱・希死などなど、ますます悪くなります。続きはブログで。

■T山さんは20代のころのビリヤードの教え子さん。男・年下。伊豆旅行スッポカシ事件から1年後くらいに「あの頃から鬱病で・・・」と打ち明け、その後何年もずっと助けてもらった。2017年5月、お互いの快気・成功を祝って2人で一晩30万円の豪遊した。そのT山30万イベントが、回顧録を書こうとおもったキッカケ。僕のウツは、T山さんで始まりT山さんで締めくくったことになる。

■この旅行についてはときどき小出しに書いてて、
2005年03月14日 生まれて始めての経験
2006年03月16日 お追い出せ、あの旅行の真の姿を
(この途中にも何度か書いたるはず)
2015年04月18日 思い出の宿が消えていく
2017年05月07日 鬱病スタートとブログスタートのキッカケはT山さん。
たぶん、いずれまた書くと思う。それくらい僕にとって大切な旅だ。

■バガデル園の向かいの「名も無き散策路」ってどこだったかな?と調べたら、主ルートからかなり外てるとんでもなくマイナーな場所だった。しかも行く前から「ここに行く」って決めてたらしい。やっぱり、どうかしてる。

■「ひねくれた人の本」は今見れば、つまり攻撃性躁鬱や境界性障害や依存症そのものです。僕自身は攻撃性じゃなく、逆にすべてを受け止めて自責するタイプの鬱病でした。攻撃性の人たちのイケニエになってた、よくあるパターンでしたね。

■闘病中、すばらしい人間性の人と出逢い、助けてくれた人たちに非常に感謝してる。それはこのブログで書てるし、書いていく。あと当時助けてくれたブログ友達に、復活の報告とお礼したいなぁ~

■というわけで2017年7月現在、今の友達は良い人ばかり。非常に幸せである。




2017.07.26 記


by nopain-nogain | 2017-08-02 10:10 | お出かけ | Comments(0)


<< ネガティブ検索 映画まとめ 7月 >>