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さて
 
 
出かけます。
 

 
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by nopain-nogain | 2013-12-31 17:54 | 徒然(つれづれ) | Comments(0)
自分の尺度
 
 
自分よりも未熟な人に対しては、どれくらい未熟かある程度判断できる。
自分よりも熟練な人に対しては、どれくらい上を行ってるのか解らない。

自分が心地よければつい「この人は自分と同じ」と思ってしまうけど、相手は実ははるかに上を行ってて、適度に転がしてくれてるのかも知れない。そういう想像力はつねに忘れてはいけない。



しかし絶対値としての「ある程度のレベル以上」というのは、解る。
by nopain-nogain | 2013-12-30 23:00 | 恋愛 | Comments(0)
映画=ゼロ・グラヴィティ・3D
 
 

映画館に行くの、2年ぶりくらいかな。
以下、映画の感想じゃなくて考察です。






僕には「絶対物理感」がある。それは
絶対音感と似ていて、物理的な運動は
ほぼすべて予想できて、おかしな動きには
違和感バリバリ感じる、という感覚。
まぁ理系の人なら持ってるのが普通の
感覚だと思う。

そういう感覚を持っていると、無重力空間
での物体の動きというのは重力下に比べて
非常にシンプルであることを知っている。

だからこの映画のように、雑にモノを動か
されると違和感ばかりが多く、気持ちが悪く
なってしまう。演出として派手にしたいのも
解るけど、大切な場面で「絶対にそうは
ならない」動きをされては、映画に没頭でき
るはずもない。


・・・・・

3Dについて「せっかく3Dだから」というのは
解るけど、演出がワンパターン。この映画だけ
じゃなくて3D映画全体がワンパターン。


あとカメラを研究しはじめてから付いた
「ヒシャカイシンド」の感覚。これも3D映画
となると、深度があってない奥行きの
非連続性に違和感を感じてしまう。
こんなの映画作りの人なら常識だろうけど
まぁ雑に作っても、今の人は良いんだろうね。



・・・・・

imaxシアターで迫力のサウンド!は
良いけど、音大きすぎ。紙をめくる程度の
音でもいちいち鼓膜が揺れるなんて。
馬鹿か。



そんな感じで。



でも楽しかった(笑)。
by nopain-nogain | 2013-12-30 18:00 | 映像・音楽・本 | Comments(0)
今日もいい人
今日も新しい人に会った。
中味のいい人。
だんだん、良質な人を選べるようになったかな。
明日も新しい人。
by nopain-nogain | 2013-12-30 04:25 | お出かけ | Comments(0)
大福
 
 
あまくて美味しいイチゴ大福

あなたが欲しいというので

半分にわってあげた

だって僕はあたながすきだから

大福半分にわってあげた



半分に割った大福

重さをじっくり比べて

ちいさい方をあなたにあげた

だって僕はあなたが好きだから

だけど僕は大福も好きだから
by nopain-nogain | 2013-12-29 12:23 | 執筆 | Comments(0)
ASMのコート
 
 
コートを買いました。


シンプルで明るい感じのコートが欲しくて、そして今シーズンだけ雑に使いたいのでユーズドで探しました。すぐにイメージにピッタリのがあったので、即決。家に帰ってメンテがてらタグをみたら「ASM」・・・あ、持ってる財布と同じブランドだ。財布の時もデザインが気に入って買って、機能性も良く6年くらい使えた。そして今回もまた同じブランドを選ぶとは。

こういうのって、モノにこだわる人間にとっては嬉しいんだよね。ドイツのステッドラー、イタリアのマンフロットにつづき、ASMは日本のブランドなのかな?モノはしっかりしてるのは財布で納得したし、デザインもシンプルで好き。こんどはASMのお店に行ってみようかな。

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こんな感じ。
 

あ、体型維持するの、けっこう頑張ってます。中味は努力でなんとでもなるけど、顔の地味さはどうにもならんで、せめて体型と服だけは頑張らないと。
by nopain-nogain | 2013-12-28 19:45 | 道具 | Comments(0)
忘年会
 
 
ホントに出席したい忘年会と、勉強のための忘年会がある。きょうは勉強のための忘年会。



今回も気付きと成長があった。以前だったらシモネタとか悪酔いとかの「レベル低い」とイライラした人たちも、今回は「なるほどね」「ああ、そうか」と客観的に観れるようになった。まぁレベル低いのは変わらないんだけど「この人達はこういう風にしか生きられないんだ」と、妙に冷静に観れた。だからそれに合わせた対応ができた。

また、以前はお互いに距離が詰められなかった人に対しても、自分から受け容れ体勢をつくって、取り込むことができた。これは参加する前からアジャストしようと目論んで、そのとおりの結果が出せた。とくにHiroさん、RYOさん。


それから「この人、結婚とかどうなるんだろう?」と予測つかなかったちょっとクセのある女性が彼氏連れで来てるのをみて「ああ、なるほど。こうなるのか」という所で落ち着いてた。まぁ有志の忘年会に、他人で無関係である彼氏を連れてくること自体がビックリなのだけど、それも含めて「ああ、こうなるのか」と。


こんなふうに書くと「なんだ上から目線」みたいに思うけど。他のみんなは自分勝手に自分の好きな話しをして、自分勝手に酔いつぶれて、自分勝手に無駄に気を使って・・・だったら僕も自分の好きなように勉強させてもらってるんだから、平等でしょ。それに僕がコミュハンしたほうが場がまとまる、みんなにとっても良いことだし。結果、ずいぶんと好評をもらったし。ちゃんとペイバックできてる。と思う。


よし。自信がついた。嫌いな人に対してイライラもしなくなった。むしろ嫌いな人をも楽しませることもできるようになった。いいぞ、どんどん自分が広くなっていく。レベル低い飲み会から高級な場まで、どこにいっても対応できる。いいぞ、いいぞ。たしかな手応え。

 
by nopain-nogain | 2013-12-28 01:53 | 徒然(つれづれ) | Comments(0)
酒乱女
 
 
前回の「馴れ合い」の記事を書いてるときにふと気が付いた事がある。前回は、主に男性の仕事&趣味の集団性について書いたんだ。これを女性の集団性に置きかえてみたら、ひとつの規則性が見えた。


「身内の仲の良さを、やけに主張する女性は、悪癖がある」 (身内=家族、固定した友達、ペット溺愛)

ここ最近、たくさんの女性と知り合う機会があるなかで、全体の資質はとても良いのにピンポイントで残念な要素を持ってる女性をみかける。たとえば酒乱とか体臭とか言葉遣いとか、そういった身に染みて治すのが難しいクセのある人。もう少し言うと、他人が指摘しにくいクセを持ってる人。

そう考えると、しっくりくるよね。
身内自体が悪癖を持ってれば自然にそう育ってしまうし、固定友達も成長じゃなくてガマン系の友達。だから悪癖を自覚することができないから、他人と接したときに違和感・嫌悪感を持たれてしまって距離が遠くなる。そうすると「あの人キライ、やっぱり身内が最高」となって、どんどん閉鎖的に成っていく。



・・・・・

逆に家族とトラブルの多かった人は、早くから自立してるので社会的バランスが良い。他人に、しかも価値ある人&場所にアジャストしないと生きていけないから、自分を(良い方に)変えることに努力をおしまない。もしくは自分が変わっていくことこそ、本当の自分に近づいていると感じる。

僕がまさにそうだ。両親の結婚生活に違和感があり、とくに父親は酒・暴力・浮気・ギャンブル・金と酷かった。きっと自分にもその血が流れてることを嫌悪して、そうならないように自分を律してきた結果、いまの僕になれた。もし田舎で父親と暮らしていたら、パチンコ・キャバクラに通って、妻をないがしろにするクソ男になったと思う。(あ、とはいっても父はそんなに特殊でもなく、田舎では普通の男くらいかもね。なぜかフォローw)



サラッと、身のまわりの知り合いを思い出してみる。
・やけに家族最優先論と固定友達の主張をする人を。
・家庭に違和感があって早めに自立した人を。
おおむね、傾向が出るでしょう。


・・・・・

そしてもう一つ。

「悪癖は自覚がない」

酒乱も暴力も、体臭も言葉遣いも、本人は気が付いてないことが多い。たとえば僕が上京したてのころ「オラぁ、なまってねっぺよ!!」=「僕は訛ってないですよね?」を本気で言ってたから。自分が間違っていたことに気が付いたとき大恥をかくのだが、そこで田舎に帰るか、成長を選ぶかで、人生は決まる!

悪癖のない人なんて、居ない。それをどう処理するか、が僕の価値観だ。
by nopain-nogain | 2013-12-27 09:37 | 心理学 | Comments(0)
馴れ合いがキライ
 
 
同業他者の人たちが何人も集まってイベントをやったり、楽しそうに飲み会で情報交換やってるのを観ると、ちょっと羨ましくなる。しかし、そういう場に参加してみると「ここは違う」といつも思う。参加してみると解る。群れる人たちってどこも一緒。


・身内を絶対に褒める。気持ち悪いくらい褒める。
・身内の欠点は絶対に触れない。観て見ぬふり。
・褒めてる以外は、なぜか謝る。ひたすら低姿勢。
・他のグループをけなす。欠点だけを強調する。
・他のグループに負けそうになると、その話題の存在を消す。
・群衆の中に一人「神的存在」がいる。とくに実力ないのに。
・たいして価値のある人がいない。大げさなだけ。
・なにかと大げさに企画する、しかし成功しない。


そんな感じ。どこも一緒。


グループじゃないと出来ないこともあるけど、本当にグループ活動が功を奏してるグループって非常に少ない。精神的に依存関係になってるだけで。本当に実力がある人は個人でやったほうが成果がでるから、グループ活動からすぐに脱退する。だからグループにいつまでも残ってる人は、残りカス。そんな集まりが面白いわけがない。


ときどき、仲間はずれのような孤独感を感じるが、かとっいて「楽しそうとおもった集団」に参加するといつも後悔することを忘れてはならない。そんなことを何度もくり返して、いまのソロ活動のほうが価値あることをこの何十年で知ったはずだから。


一人で孤独にやってて、なにかのトラブルで同業他者の助けを借りたいとき、やっぱり一人で活動してるひとにお願いする(お願いされる)。そういうときの助け合いってホントに助かる(助ける)。で、そのあと特に親密になるかというとそれはなくて、貸し借りの恩着せもなく、また何かあったときに助け合う。お互いにそういう距離感が適度だと解ってて、その安心感がある。


団体を羨ましく感じるときもあるが、そんなときは「一人で活動してる人」に眼を向けるといい。「団体=依存・固着・明るい」「個人=溢れるパワー・躍動・たまに病的」という真逆の違いを感じることができる。5分あれば気持ちの切替が出来て「さて、仕事でもするかな」という気持ちになれる。


馴れ合いやってる人たちも本心ではそのことに気付いてるのだけど、抜け出せないのは、まあ、そういうこと。
by nopain-nogain | 2013-12-25 08:29 | ライフワーク | Comments(0)
地方の人と、鼻血
 
 
地方の人からコミュニケーションをもらうことが多くあるのだけど、ムカデが出たとか、カマキリの卵を拾ったとか、動物が死んだとか、やっぱりそう言う話題がメインになるのかね。一人じゃないの、ムカデの話しするひと多いの。ま、それはそれで良いんだけれど。


ランチタイムにムカデの写真を送ってきたり、くみ取り式のトイレが詰まったとか、今朝もまた車の事故を観ましたとか。。。長い友達ならまだしも、初対面に近い人に対してのマナーとしてどうなんだろう?


僕もバリバリの田舎出身。もし上京せずに田舎から出なかったらおなじような生活になっていたのだろうか?いや、ちがうな。僕はそういう田舎の閉鎖感・モッサリ感が大嫌いだったので都会に来た。エレガント・・・見栄っ張りのエレガントはウザイが、他人を思い遣ったエレガントさがある人と一緒にいると心地よい。心地よい場所に居たいから、自分も他人への気遣いを努力する。


部屋に出たムカデの大きさを自慢しあうのもひとつのコミュ場なのだろう。でもそれは多くの人が不快になる話題だと自覚してるかどうか。それが問題だ。ブログでやるのはかまわない、観なければいいのだから。でもメールで送りつけるのは、どうだろう?同じ写真一枚でも意味が違う。


そうだおなじ田舎にも、暖かい田舎と、コンプレックス丸出し排他的田舎があるな。どういう違いなんだろう?



そんなことを考えてたら、鼻血が出てきた。大量に。


ここで血まみれティッシュの写真を載せたら、ウケるかな?あえて(笑)
うわーでもそれ、すごい勇気いるなぁ。タブーだものなぁ。
さすがのクソ人間の僕でも、躊躇する。

 
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やっぱり、ダメ(笑)。
by nopain-nogain | 2013-12-24 06:35 | 徒然(つれづれ) | Comments(0)