18歳のスピーチ
※「俺は昔すごかった自慢」です。



田舎の底辺高校を卒業した18歳。当時は日本で一番オシャレな横浜みなとみらいの、超有名コンピュータ企業に就職した。入社してから半年くらいは新人研修で、その課題のひとつとして毎朝3分スピーチがあった。バブル絶頂期の新人社員は苦労を知らない無責任な若者ばかり。とうぜんスピーチは幼稚で、聞き手も居眠りしてる人がほとんど。ときおり講師社員が寝てることさえももあった。

根暗パソコンオタクの僕は、こんな研修になんの意味があるのかわからず、それよりも早く得意のパソコンを触りたいと思っていた。スピーチの数日前からテーマをイヤイヤ考え出し、下書きもせず時間割りもせず、手ぶらのまま本番で喋っていた。どうせみんな寝てるだから、時間がくるまで一気にテキトウに喋った。

それよりも僕がもっとも気にしていたのは、栃木弁まる出しだったこと。文化的な方言ではなく、いかにも田舎の低貧民独特の汚い喋り方。それが恥ずかしかった。当時は田舎者をバカにするのは当たり前の世の中だったので、たとえテーマが良かったとしても、栃木ナマリが悪目立ちするだけだと思っていた。

スピーチが終わると講師の評価があって、いつもなにかゴチャゴチャ言ってるけど、そもそも興味が無いので覚えてない。だから僕のテキトウなスピーチなんて最も怒られるだろうと思っていた。でも評価は意外なものだった。



「あなたのスピーチは毎回すばらしい。内容はともかく、聞き手が全員グイグイ引き込まれていく。寝る人が一人もいないスピーチは、あなた一人だけだ。」



もともと人見知りの視線恐怖症なので、スピーチ中はずっと下を見ていた。だから聞き手がどういう状態なのか知らない。講師にそう言われてもピンとこない。でも毎回、同じことを言われていた。壇上から席に戻ると、周りの人達が(いつもと比べて)明らかに熱量が高いのは感じた。でも、なぜそうなるのかまったく分からなかった。




・・・・・

研修後はあっという間にトップチームに入り給料も上上上。でも「無能な先輩と給料が同じ」「技術職は10年、その後の管理職は死んでもイヤ」「自分の限界を知りたい」「満員電車イヤ」ということで2年で退社。そして独立。



その後いろいろあって、現在は執筆が仕事の主軸になっている。文章構成の技術的なロジックを知った今、18歳の僕がどうして魅力あるスピーチをできたのか、分析してみたくなった。いまの執筆やコミュスキルはここ10年の勉強の成果だと思っていたが、もともと能力を持っていたのだろうか?だとしたらなぜ?何歳から?


ちなみに18歳スピーチのことは当時から20年以上忘れていて、急に「そういえば!」と思いだしたのが数年前。当時のことは意識して思い出そうとしても思い出せないが、ときどき急に断片的に思い出すので、それをココにメモしていこうと思う。




※推敲ゼロ。追記予定。




●オチは熟考していた。
テーマを決めてからは「最後のオチ」を8割くらい考えてた覚えがある。対して全体は2割くらいでとても軽く扱っている。あるいはオチが決まらないのでボツにしたネタもあった。かなりオチを気にしていた。


●マクラ
落語で言うマクラ、漫才で言うツカミ。これは時間をかけるよりも瞬時に浮かばなければダメだった。内容がすごく良くなりそうでも、マクラがパッと思いつかない場合はボツにした。最初の数秒で興味を引かなければいけない、という考えがとても強かった。


●タイトル「味噌汁」
スピーチは5・6回あったはずだがほとんど忘れてて。8割くらい覚えてるのが「味噌汁」というタイトルの話。田舎から都会の社員寮に入っって食べ物が美味しくなく、お母さんのつくった味噌汁が懐かしい。という話だけど、田舎が嫌いで学生最後はほとんど家にいなかったし、横浜の食事を満喫してたので、まぁ全体的にウソ。


●タイトル「やなさって」
東京では「明日・あさって・しあさって」だけど、栃木では「明日・あさって・やなさって・しあさって」という方言の話。横浜で「しあさっての12時に待ち合わせ」したけど一日ずれて会えなかった、という話なのだが、このエピソードも捏造。他人の失敗は面白いだろう、という狙い。(ちなみにこのネタは今でも使っている)


●タイトル「??」
あと数本あるはずだが、内容もヴィジュアルも思い出せない。思い出したらココに書く。


●作文課題
スピーチじゃなく作文課題のときも「こう書いたらウケるだろう」と、ほぼフィクションな内容で提出した。こうして書き出してみて発見した。僕の発するモノはフィクションが多い、っていうか思い出す限り全部フィクションだった。エンターテイメントだ。悪く言えば虚言癖。


●他人のスピーチを覚えてないが、話題がつまらなかったり、聞きづらくてイライラしたのは覚えてる。もしかしたら世界経済とか社員としての心構えとかの話題だったのかも。


●中NOさんの「正しいソバの食べ方」は面白かった。ソバの食べ方にコダワリすぎて面倒な人になっている、という自虐的なネタ。唯一覚えてるスピーチ。


●石DAさんは頭が良くて面白いのだが「頭いい人あるある」の早口で何を言ってるのか分からない人だった。なのでスピーチも面白いことを言ってるんだろうが、全然聞き取れなかった。それを反面教師にして、自分も早口だったのでユックリしゃべるように気をつけたのは覚えてる。


●「別格のスピーチ」と言われると意識過剰になって失敗するはず、だが後半で大爆発も大失敗もした覚えがない。意識過剰になった覚えもない。(たぶん)


●小中高はバリバリ理系。作文も発表も苦手で一文字も書けないか、逆に超長文になった。いずれも高評価をえたことはなかった。いっぽう絵や工作は毎回受賞してた。イヤイヤ書いた絵が金賞で「なんで?」って思ったりもしてた。


●小学4年生の演劇練習で先生が書いた台本をみて「この脚本はダメだな」と強く確信した覚えがある。実際、発表会でもボロボロだった。いまのところ最古の記憶はこれ。




# by nopain-nogain | 2019-07-22 20:47 | 執筆 | Comments(0)
初めてアナモルフィックレンズの実物を見た。
子供の頃、テレビで見る映画は縦長だった。そしていつも不思議に思っていた。

 ・横に圧縮するのではく、上下を黒くすればいいのに。
 ・光ボケが楕円形になってるのはなぜ?
 ・フォーカス移動した時に、わずかに左右に伸び縮みしてる?

それらの謎は、映画撮影で使用される「アナモルフィックレンズ」の影響ということを、最近知った。→アナモルフィックレンズについての記事。



それ以来、どんなレンズなのか見てみたいと思ってた。でも業務用で超高価なものだし、今はデジタルになりアナモルは必要なくなったので、現物を見ることはほぼ不可能と思っていた。が、まったく別の目的で「なにか新しい知識がほしい」と散歩していたら、偶然というか必然というか、見つけた。

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楕円。


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かなり古い機材だがトップクラスの映画で使われたカメラ。


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レンズ自体が美しい~。



映画やカメラに興味がなくてもパソコンやデザインをやる人なら、アスペクト比には敏感でいるべきなので、アナモルのことは軽くでも知っておくといいと思う。さっき「デジダル時代は必要ない」と書いたが、映像美にこだわる映画では今でもアナモルを使っている。その違いが感じ取れる敏感さはとても大切。



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ANAMORPHIC




でも個人的な感性でいうと、アナモルの映像はあまり気持ちよくない。特にフォーカス移動したときのボケが縦横に伸びることに違和感を感じる。あれがあるとせっかく映画世界に没頭してたのに、現実に戻されてしまう。いい夢見てたのに眼が覚めてしまう感じ。でもこのことは映画マニア友達にも理解されなかったので、僕の過敏なところだとおもう。

ボケが楕円なのは不自然だが、ちゃんと美意識があって使い分けてるのなら、問題ない。ボケ形状への意識が雑だとガッカリだし、コダワリすぎても良くない。いずれにしてもストーリーが良ければ、ボケは見えなくなる。ボケは端役であるべきである。

TVで縦に長いのは、昭和初期の懐かしさという価値はある。けどアスペクトを守ってないのは、映画を作った人に申し訳ないとおもう。




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アナログって、デジタルよりもスゴイよな。機能美。



映画用のアナモルレンズって未だに新製品が出てて、文中で言ったような独特のクセをなくしたレンズもあるみたい。でも35mmフィルム+アナモルの癖っていうのは映画ファンの中に無意識に刷り込まれてて、それは映画業界のコストダウンの結果なのだから良いのか悪いのか分からないが、確かにあの独特感があってこそ「映画を見てる」っていう気分になれる。あぁそれはアナモルだけじゃなく他にもたくさんの映像技術の連動なのだけど。


いままで見た映画の中で「映像がキレイ」とおもった映画を、撮影技術目線でもう一度見てみたいな。





# by nopain-nogain | 2019-07-17 02:13 | カメラ・写真 | Comments(0)
海外旅行 その0.5 コンプレックス
近々、海外旅行に行きます。6泊7日。



マンション購入&引っ越しがあり3年くらい大きい旅行が出来なかったので、久々の海外です。飛行機もホテルも取りましたが、行き先はまだ伏せておきます。この行き先に決定するまでの経緯をしっかり書きたいのですが、そのためにはまだ構成が揃わなくて。

じゃあなんの記事かって言うと。飲み友達とかに「こんど〇〇に海外旅行行くんですよ~」って話すと旅行好きの人なら盛り上がるし、そうでもない人でも酒席の一つの話題とし消化してくれる。でも幾人かの人が明らかに不機嫌になって、ちょっと驚いたから。その不機嫌パターンが全員酷似していたのを見て、これは「海外コンプレックス」だなと。

僕自身も学歴コンプレックスとか田舎・貧乏・変人などたくさんのコンプレックスがあった。今ではほぼ忘れるくらい克服したが。そういう辛い経験があるから他人のコンプレックスも刺激しないように心がけているし、最近知り合う人はそういう心配はお互いに安心の範疇だった。だがしかし海外コンプレックスは、僕が意識していなかったせいもあってか、とつぜん同時多発的に爆発した。

けっして旅行自慢などしてないし、旅行好きなら「どこの国いったことある?」みたいな流れになるのは自然だし。あとこれがキッカケで全然そんな雰囲気じゃなかったのに旅行経験が豊富な人が発覚したりとか。まぁそうやって盛り上がってる話題に参加できない寂しさみたいのは分かるけど。これが国内旅行の話題だったら(行ったことがない場所でも)普通に話せてたので、やっぱり「海外に行ったことがない」というピンポイントのコンプレックスがあるんだろうな。

けど一人のコンプレックスに気を使って、複数人が我慢するていうのは、無いよな~。一週間も旅行行くのに、話題にしないのは不自然でしょ。どうやって対策しよう??できれば全員で楽しく話したい(←すこし病気)。





※年配で戦争体験がある人の「外国への敵対感情」は、また別の話ね。それは理解できるし、それはその話題として普通に話せる。


※人種差別とか選民意識の人もいる。でもそういう人はもともと「友達」ではない。




※今回、あえて推敲していない。そもそもアップするかどうか迷ったので、勢いで書いた。善意に取ってくれると信じている。







# by nopain-nogain | 2019-07-16 06:05 | お出かけ | Comments(0)
100%ドン引きされる話題
自分としては面白いネタのつもりで話してるのに、しかも現実の真実なのに、聞いてる人が必ずドン引き・あるいはヒステリーになるネタがある。それは「乱数テーブル」の話。



コンピューターゲームはもともと一部のマニアだけの趣味だった。が、現代では老若男女誰もが気軽にゲームをしている。だから最近では「どうしてレアアイテム取れないの?」とか「運がいい悪い」といった会話を、そこかしこで耳にする。そんなとき元プログラマーだった僕は「乱数テーブル」が思い浮かぶ。

現実の「サイコロ」は運任せだが、コンピュータは「サイコロのようにテキトウで運任せ」ということができない。だから予め用意された「乱数テーブル」に従ってサイコロの気まぐれさを再現している。その乱数テーブルは固定されたモノなので、プログラムの知識があれば、狙おうとすれば狙って出すことができる。「電源パータン(wiki)」とか「露骨な調整」といった専門用語が出てきたら、それだ。

んで僕も大人なので、そんなネタバレみたいなことは言わないほうが(一般的には)ゲームを楽しんでもらえるのを知っている。のだが「教えて」と言われれば、知的好奇心にプラスになるかと思って「実は乱数テーブルっていうのがあって・・」と話し始める。しかしこの話をすると相手がイライラして怒り出すのである。ある程度インテリジェンス的な信用がある人にしか話さないのだが、それでもいまのところ100%おなじ反応をされる。

まぁ心理はわからないでもない。ファンタジーの世界で活躍するのを楽しんでたのに、すべてが単なる数字の表でコントロールされてたと知ったら、そりゃ興醒めするだろう。そんなの僕もわかってるから、よほど求めららたときしかこの話をしないのだが。「知りたい」と言われてもそれは本質を求めていなく、高確率で不機嫌になられることが多かったので、どんなに求められても、この話は封印しようと思った。

ただ、おなじ理系プログラマやTASレベルのゲーマーとは、この話題をするのはやっぱり面白い。またコンピュータがいまだに「テキトウ」ができないのは、ノーベル賞レベルの技術的課題だしね。理系が強ければ強いほど「不可能」ってわかっちゃうけど、何百年後かには乱数ができるかもね。そういうののほうが夢がある。





今の僕の周りには理系で送り手側の人間ばかりなので、こういう話題が当たり前だと体に染み付いちゃってる。でも一般的には、そんなこと知らないほうが楽しめる消費者側の人たちが大多数だ。だからそういう人たちに「どうして?」と聞かれても、答えを言うのは間違ってる。知らないふりして、一緒になって「運だよね~」と言うのが、正しいのだろう。




また、嫌われることを言ったな。でも僕はこれでいい。ワガママにも、理系とファンタジーの両方を身につけようとしている僕自身が、自分を自分で板挟みにしている。でもそれでいい、今の僕は、人生後半は、それが楽しい。





# by nopain-nogain | 2019-07-01 06:17 | 執筆 | Comments(0)
ボツ写真と忘れ写真
さいきんは写真を撮っても、何日も何週間も見返さないことが多い。下の写真も、どこで撮ったのか、何を狙って撮ったのか覚えてない。たぶん電池残量チェックの試写とかだろうと思った。

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サムネで見た段階ではボツにしようと思ったが、念のため拡大してみて気がついた。月を撮ったのだ。



上野から湯島あたり。日中は美術館を見て、心地よい疲れだった。これからの夜ゴハンの店を探してウロウロしてた。そのときに珍しい位置に月があると気がついて、写真にしようと思った。

スナックやフィリピンが多かったのでユックリ撮ることはできない。カメラ出し入れ5秒以内の早打ち、しかも70-200のマニュアルフォーカスで撮った割には、よく撮れてた。


構図を調整してるときに気がついたのだが、実は本物の月ではない。丸い照明が丸い構造物で月食のようになっていた。どうりで変な月なわけだ。でも写真にすれば面白い構図になると思って。創作写真。




# by nopain-nogain | 2019-06-26 20:11 | カメラ・写真 | Comments(0)
早朝公園
精神の
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調子悪いので気分転換。
# by nopain-nogain | 2019-06-13 06:19 | Comments(0)
ずっと100%の芸術鑑賞

芸術の感想といえば・・・


・学生の頃は、他人と違う感想を言うのは悪いことだと教え込まれたせいで、自分の意見は言えず、みんなの真似をするか、無言で通していた。

・20代頃は、自分流のオリジナリティを出したいという願望をこじらせて、とにかく他人と違うヒネった感想を言おうとしていた。

・クリエイターとして目覚めた頃は、他人の意見や作品の有名無名など関係なく、100%素直な自分の感想を言えるようになった。意見が違うことを楽しく議論できる友達が増えた。そして自分の感想を言えないタイプの人とは交流を断った。

・クリエイターとして自信がついてくると、いつ頃からかわからないが、他人の作品に興味がなくなり、ほとんど見なくなった。たまに作品を見る場合は技術的な研究が目的。あるいは、スバラシイ作品を見たときは、作品よりも人間性のほうに興味が行った。





先週、久しぶりに美術展を見てきました。


散歩のついでや招待とかじゃなく、完全に自分の意思で狙いを決めて美術館に行ったのは3年ぶりか、もっと久々かも。この作者の作品は小学生のときから興味をもって見ていたが、ファンと言うほどではなかった。それが偶然か必然か、仕事で扱うようになり、作品や人物を詳細に調べてるうちに「これはスゴイ!」となり、以降ずっと心に住み着いてる人物。この人の本、28000円もするのに、どうしても欲しくて買ったものなぁ。

そんな人の展示会が数十年ぶりにあることを知った。しかも年齢からすると最後になるだろう。だとすれば相当の混雑で、まともに見れないだろう予想する。だから僕は行かないつもりだった。しかし同業者から「空いていたのでじっくり見れたのが良かった」という情報が流れてくる。「おお、そうなら行く!」と、行ってきた。美術展の結論は、非常に良かった。





しかし今回驚いたのは、自分の作品鑑賞の変化。


今までだったら感想を思い浮かべたり、ときには混んでいてよく見れないことを愚痴ったり、このあと何を食べようかと想像したり、勉強しようとしすぎて頭痛になり半分も見ないうちにリタイアしたり、そんな感じで感情と雑念の多い美術鑑賞をしていた。

しかし今回は全然違った。100%インプットのみで、アウトプットが100%無かった。作品に対する感想がほぼゼロ。いや作品だけでなく人間として感情がゼロ。とうぜんマナーとして他の鑑賞者に気を配ることはしていた。それ以外は、ただひたすらインプットだけをしていることに、途中で気がついた。

作品を眼で見ているのではなく、網にかかった大量の魚を一匹も逃さないように両手で(両眼で)掻き込んでる、そんな見方だった。それなのに、勉強感・充実感はずっと100%。だんだん上がるのではなく、100%を超えて150%になるでもなく。最初から100%で最後までずっと100%の一定感(そんなのありえない)。そしていつの間にか5時間もいたのだが、頭痛にもならなかった。

いままでに無い、とても不思議な状態だった。それを書き残したかった。






まま、少し現実的な話をする。

●一番勉強になったこと。紙の扱いとか、筆圧が異常に強いとか。ネットや本では知ることができない、生原稿を肉眼でみなければ知りえない情報を得られたことに大きい収穫があった。

●スマホカメラ撮影はOKだが、デジカメはNG。僕は初めて見るタイプの撮影規制だったけど、最近は定番の規制なのかもなぁ。でも納得だよね。デジカメだと長く撮影しちゃう人(マナー悪い人)いるし、印刷したらコピーできちゃう。スマホなら短時間で、SNSで宣伝にもなる。というわけでデジカメはフル充電だけど、急遽スマホ撮影になったので、途中で電池がなくなってしまたのが残念。


●上記に関連して。スマホ本体が白かったので、作品に写り込んでしまうのが残念。持参したデジカメは、白ロゴも黒く塗りつぶしてあるくらい神経をつかってるんだけどね。次に美術館行くときのために、黒いスマホケースを買っておこう。あと携帯用のPLフィルター(映り込み防止フィルター)を探してみよう。


●上記に関連して。やはり美術館に行くときは黒い服装がいいね。明るい色だと作品に反射して、ダメ。本気の他人にも迷惑。

●撮影はスマホのみ可。ということで女子はもちろんオジサンも「キャシャ!キャシャ!」とスマホ電子音が引っ切り無しに、時には耳元で鳴らされる。昔の僕だったら精神的にやられて「無音カメラアプリくらい普段から準備しておけ!」と、脳が悪態ついていただろう。でも今日はごく少し現実世界に戻されただけで、ほぼ無音の世界にいた。まるで水中にいるように、音の記憶がまるで無い。あ、耳はインプット0%ってことか。


●展示内容なのか宣伝ポリシーなのか、クリエイター客が多く、一般客が少なかった。つまり、何が言いたいかというと、全体的にマナーが良かった。何年か前のフェルメールのときは地獄だった。




●家から電車一本の行きやすい美術館。オープン展示もたくさんやってて、居心地が良い。今回ほど濃くなくてもいいから、また来たいな。





見終わってベンチに座ってたら脂汗がすごかった。ギトギト。5時間、飲み物もトイレもなし、息もしてなかったからね。じゃあ銭湯でサッパリできたら最高だなぁ、と思ってスマホを取り出した。しかし電池5%で検索諦め。少し散歩して、適度な居酒屋さんで美味しいお酒を飲んで、帰宅。



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良い一日でした。



# by nopain-nogain | 2019-06-04 09:41 | お出かけ | Comments(0)
「害がない人」っていう他己紹介
近年、出会う人が良質な人ばかりなのはどうしてだろう?という疑問があった。おおざっぱに、下記の3つのどれかかなと思っていた。

・自分が成長した(人間不信が治った)
・周りの人が成熟し、変人の僕を受け入れてくれてる(年齢層の変化)
・世の中全体が良くなっている(社会的時代的なもの)


人と関わるのが楽しいので積極的に団体行動に参加していたのだが、さいきんいくつかの団体で「良くない人間」「レベル低い集団」も変わらず居ることが解った。たいした努力もせず、他人の幸せをひがんだり、自分のミスを誤魔化すような、人間性の低い人達。どうしてそんなに馬鹿でいられるんだろう・・・というわけで世の中は変わっていないということを知った。自分自身の変化の結果、良き人たちのテリトリーに囲まれ、レベル低い人たちが視界から外れたのだった。



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良い人自慢。


先日、あるお店の○十周年記念祝賀会に招待された。引っ越してきたばかりでまだ1年も通ってないのに、とても嬉しかった。だが一方で招待されてない先輩常連さんもいるので、この話題は口にしないようにしていた。しかし周りの人が言ってしまうので、少しヒヤヒヤした。

祝賀会の当日、会場では端っこの暗い席に割り当てられて、自分には居心地良いピッタリな場所にしてくれたなと納得して着席。同じテーブルの人に初対面の挨拶すると、やはり同じように静かなタイプの人でまた安心。無駄な社交辞令とか無く、言葉は少ないが、ひとつひとつに意味がある会話。居心地の良さを確かめる。

少し宴が進んだ頃「サインしてください」という人が数人きた。どうやら有名な女性らしい。本来は頂点に座るべき華やかな人が、この端っこの暗い席に居るのは、本人の希望なのだとおもう。「どういう有名人か」ということは、僕も彼女も話題にしない。

時系列は1年前にさかのぼって。
このお店に入った最初の日に「やさしさオーラがにじみ出てる」と言われ、いろいろサービスしてもらった。この記事。他の常連さんに紹介するときも「この人いい人」と連呼。やがて数カ月たった頃の僕の紹介文は「この人、まったく害がない人」になっていた。そんな他己紹介は初めてだ。「害がない人」って。

時系列は祝賀会に戻って。
僕とこの女性が同じテーブルに配置されたのは、ぼくが「害がないから」選ばれたんだろうな、と解った。そもそも招待されたのも、害がないから利用しやすいということだと思う。そのおかげで、著名な人と同席・会話することができた。そして逆隣の席には、TV局のディレクターの人。この人と盛り上がったのは、先日の記事に書いたとおり。向かいの席は今日の司会の人。このテーブル、4人とも演出側の人だ。すごい。


というわけで、僕はこの「害がない人」っていう紹介文がとても気に入っている。


数年前「この人はスゴイ人!」っていう他己紹介をされて、とても嫌な思いをした時期があった。そのことは何度も何度もブログに書くほど辛かった。現在は「この人いい人」っていう他己紹介が多くて、おおむねスムーズに入っていける。でもこれ古い常連さんに対して言われると反感を買ってしまう場合があるので、すこし落とすように気を使っていた(実際にはそういうトラブルはまだ一度もない、いい人ばかり)。そこにきて「害がない」ってのは反感を持たれにくい。そして警戒されない存在だと、いろいろな話しをてくれるので、先輩たちの面白い情報が聞けるのも楽しい。




それにしても「害がない」っていう他己紹介はとても絶妙だな~。もう自分から言っちゃおうかな「僕、まったく害がない人間なんです」って。自分で言ったら変かな?






# by nopain-nogain | 2019-05-19 09:23 | 心理学 | Comments(0)
朝の公園
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# by nopain-nogain | 2019-05-16 07:10 | Comments(0)
西向きの家を非常に気に入っている。
●引っ越して1年経ったらマンション購入のイロイロをまとめようと思っていた。のだが、例によってまとめようと思うといつまでたっても書けない病になっている。このまま時間がたつと感動や書きたいことを忘れてしまいそう。なのでちょっとずつ小出しで書こうと思う。今回は「家は南向き」のこと。


●部屋選びでは昔から「南向きが良い」とされている。また西向きの西日は嫌われているようだ。たくさんのメリットデメリットを経験した先人たちの総意なのだろうから、素直に信じていた。




●ちなみに前住居は南向きの7階で眺めも良かった。

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前居・北西方面。夕焼け。


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前居・南方面。朝焼け。





●今回の物件探しした地域は、良くないとされる西向きが多かった。それは予算が少ないから南向きが候補に上がらないのだと思ってた。だがしかし高級マンションでも西向きが多くて、なぜかと考えていた。この辺は南北に流れる一級河川が多く、それに沿った道路や区画にすると、どうしても西向きになるんだと思う。7割8割の物件が西向きか東向きだ。そんなわけで地理的な理由で南向き西向きという条件は考慮しないことにした。


●結果、西向きのマンションになった。1年住んで実感したのは、南向きよりも西向きのほうが断然良い!ということ。

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東。窓をオレンジに染める朝日。



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西。なぜか、神奈川よりも東京のほうが空がきれい。なぜ?


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同じく西。きれいな夕日を毎日見られる。いい感じ。


●家の間取りと窓の位置がちょうど良かったというのもある。西ベランダの南側が開いていることや、リビングの出窓がやはり南側に開いてるので、午前中の太陽光も入ってくる。東には窓2つとベランダがあるので、実質的に東南西の三方から光が入ってくる。マンションの6階でそれほど高くないが、視界に大きい建物がないことも良かった。

※間取り図を載せても良かったんだけど、それだと生々しすぎるというか、この場合載せないほうがいいだろうね。



●北向きってなにかメリットあるだろうか?何も思い浮かばないなぁ。強いて言えば、ここからだと北関東の山脈が見える、くらいかなぁ。最近はエアコンも常備だし、デメリットも少なそうだけど。



●逆に、直上の写真に写ってるような、高級でも規模が大きすぎるマンションは、太陽に乏しい。ウチの三分の1くらいかな。ご近所の新築一軒家は、太陽ほぼゼロ。僕ならたぶんウツで死んじゃう、2年もたない。



●これほど太陽の話で盛り上がってるのは、僕がヒキコモリでずっと家にいることや、不眠症で今何時か分からないような不規則な生活だから。セロトニン不足のウツ人間は、太陽の光で健康が左右されるのを痛いほど知っている。



●ですから、健康的で一般的な会社勤めの人だとほとんど家に居なんだし、僕ほど喜ばないかもしれないなぁ、どうだろう。



●ここから昔話になります。そういえば前の前の家は一日中ほとんど日照が無く、しかもずっと雨戸締めてヒキコモってたので、鬱を激化させる大きい原因でもありましたね。

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雨戸閉めきりなので結局カーテン買わなかった。


●ココに引っ越して2年たった頃、大家さんに「いつ引っ越してくるんですか?」と聞かれた。それほど命薄かった。30歳代。死。ちなみに大家さんの家は目の前である。あああ思い出すと長文になるので割愛。



●そんなわけで心機一転、南向きの前居に引っ越した。のですが、せっかく日当たりが良くなったのに、すぐに窓に目張りしました。色を使う仕事なので、自然光で色味が変化すると仕事にならないのです。で、今の仕事部屋も引っ越してすぐに黒で目張りしました(笑)。まま、目張りしたのは半分で、あと半分は遮光ロールスクリーンで開閉できるようにしました。徹夜開けで朝日を見ると気持ち良いし、昼間は真っ暗にもできます。それにしても仕事部屋が居心地良すぎて困る。




●改めて前居の写真を見ると、空気の透明感が悪い。もしかしたら写真技術が原因かもしれないけど、肉眼で見ても今の空のほうがスカッとキレイなんだよなぁ。それとも精神的なものかなぁ。ちなみにココでは毎日キレイな朝焼け夕焼けが見れられるが、前居では週に1回くらいだったな。神奈川から東京、そんなに離れてないのに。




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東の部屋から花火が見れる。



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西の部屋からも花火が見れる。宅配ピザとビールで花火見物した。



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スカイツリーも見れる。でもこの写真は近所で撮ったもの。家からはまだ撮ってない、せっかくなのでちゃんと撮りたいと思うけど望遠レンズが未だに引越荷物に埋もれてて。





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部屋の奥の方まで入ってくる西日、時間とともに変化していく様子が、光のアートみたいで非常に気に入っている。





東から登る朝日、西に沈む夕日。これを見ているとき、幸せを感じる。






# by nopain-nogain | 2019-05-07 02:11 | 引越し | Comments(0)