新宿 ゴッホとかポールとか


このビルはね~、小学生のときか、もっと小さいときかもしれない。
幼い頃の僕にとって、東京の高層ビルといえばこのビルが真っ先に
うかびます。いやいまでもそうです、これはサンシャインとかよりも
なにか僕に印象深いものがあるんです。

新宿 ゴッホとかポールとか_d0002320_1636194.jpg

そのビルに、大人になって積極的な意味で入るのですから
田舎出身者にとってはそれだけでも感慨深いモノです。



新宿 ゴッホとかポールとか_d0002320_1636878.jpg

有名な「ひまわり」など。
版権とかありそうなので小さめに。

・・・・・

たくさんのアーティストの油絵が主体の展示会でした。
こうした作家さんたちの歴史や年表や○○派、とかにはあまり詳しくないのですが

おそらく同時代の、レアリズム(?)が主流になっていた頃の作品群なのでは
ないかと感じました。全体的に風景画が多く、作風も似ているので
作家の独自性とゆうのはあまり感じなかったです。あ、絵の具とかも
その時代の流行とか品質があるからねぇ。

こういう時期の作家サン(作品)は、習作なのでしょうか。それとも
個のアートなのか、生活のために描いていたのか。それによっても
絵の見方は変わってきます、僕の場合。

創作活動を人生のどこに置くかで、
作品の意味も変わってくるだろうから、興味が湧いた作家さんの
一生などを勉強したくなるのですが、たいてい、知恵熱を出して、
しばらく眠れなくなってしまうので、そういう勉強はできるだけ控えるように
してます。

ちなみに
いちばん気に入った絵は、夜景に灯りがともってる港の風景画、でした
作家サンの名前は・・・アルベルト・バールツンです(←丸写し)。




新宿 ゴッホとかポールとか_d0002320_16361478.jpg

東京ですねぇ。。。

僕がここに立って、東京を見下ろしているのは、たまたま高層階にあった
美術展の、ただの一人のお客さんにすぎないんだけど、


もし向上心と野心と、それを実現させようとする努力がなかったら、いまでも栃木の田舎で、
漠然と都会に憧れながら下請け工場とかでグチグチ言いながら働いて、スナックで飲んで、
門限を気にして帰る。そんな生活をしていたかもしれない。同級生たちを見ても、
田舎特有の地付き感覚から離れられない人は、どうしてもそうなってしまいます。

それが今は、ゴッホ達と比べるモノでもないけど、でも僕が創ったモノを買ってくれる人がいて
それだけで生活していける。こんな立派なオフィスじゃないけど、いやむしろ6畳一間の作業場に
世界中からオーダーが来るのだから、これは醍醐味のある仕事なのです。このことは
大いに自慢できると思ってます。

人の人生は、何通りもあると考えます。常日頃の努力も大切なのですが、その努力や
悩みが間違った方向に向かっていたら、いくら頑張っても人生にしっくり来ないでしょう。

いちばん大切なのは、ある岐路に立ったときの、そのときの決断力です。これさえ正しければ
遅かれ速かれ、ゴールには向かっているのですから、人生の手応えというものが確実に
感じられます。

もしある程度の年齢になっても、自分の人生観が掴めない人がいたら(あ、たくさん
いると想いますが)こう考えてみてください。「あのとき、あっちを選択していたら・・・」と
後悔することがあると想いますが、そういう選択のチャンスは、じつは毎日の中に
チャンスがあると思ってください。たった今の決断で、何年後の自分の人生が
豊かな人生にもなれるし、相変わらず何をやってるのか解らない人生にもなれる。
そういう二つの人生を想像して、どちらがいいのかは言うまでもないので、あとは
決断です。今、悩んでることを、終わらせる決断。


たとえば今日の僕だって、ほんとは家でウジウジと悩んでいた一日なのですから。
それを「ガッ」と出掛けて、展示会を見て、東京を見下ろして偉くなった気分になって
やる気が出てしまうんです、単純だけど。ウジウジブログよりも、
こうして啓蒙(説教?)ブログしてる方が楽しいし、よかったです。


だから僕は、頑張ってるけど方向性が間違ってる人には、ちょっとヒントを与えたり
必要があれば僕の人生の一部分を使ってサポートしたりすることで、その人が
輝き(僕が与えるんじゃなくて、もともとその人が持ってる輝き)を見いだすことが
あるので、そういう役には立ちたいな、と。
by nopain-nogain | 2009-10-29 17:21 | 映像・音楽・本 | Comments(0)


<< 江ノ島 とんび 美術館と 渋谷リベンジ >>