審美眼・観察眼
 
 
映画の話し。ネタばれ有り。



昔は日本映画の「いかにもお芝居」的な所がいやで、洋画ばかり見ていた。洋画なら
セリフが不自然でも意味判らないし、英語なのでアクセントの抑揚だけで聞き流せる。

それでも日本に居れば見たくない邦画や予告編が眼に入り、邦画の生い立ちは
無意識に感じられる。最近の邦画はやっと昔の形而上的お作法から脱出したようで
けっこう面白い映画が増えた。

さらに、苦手だったヨーロッパ映画のワビサビも判るようになり、ここ最近では韓国
などのアジア映画の若さ、パワーが面白い。いまではどの国籍のどの民族でも、
映画を含めた文化の違いを楽しめるようになった。


・・・・・


映画と関わってきた人生で、自分自身の見方が変わってきてるという実感がある。
年間100本200本映画見る人も少なくないが、ただたくさん観てる映画ファンと、
作る側を意識するようになる映画好きは、大きく違う。僕は仕事に関連して
演出手法やカメラワークなどの技術的勉強に興味を持ってしまったせいで、
せっかくの映画が楽しめないことが多い。


今日観た映画は、雨嵐の中のサスペンス映画。途中から「何かデジャブ感があるな」
と感じて、気がついたのは、カミナリのフラッシュのパターンがずっと一定だ、って
いうこと。パパパッ・・パッ・・パパ・・・みたいな感じがずっとくり返されるのが不自然と
気がついてしまうと、もうそのパターンを確認したり、光源の位置が判ってしまったり、
すっかり映画のストーリーから乖離してしまう。雨の自由落下加速度も不自然だし。

何度でも言うけど、物語が良ければ技術面は気にならないで一気に見れる。しかし
「雨と嵐」が主題のサスペンス映画なのだから、雨と嵐と雷にはもう少し考察とお金を
かけるべきだと思う。



SF映画のカメラの位置。気になる。
難破した宇宙船を外から捉える映像があれば、そこにはカメラがあるわけで・・・
宇宙船という閉鎖空間から、とつぜんパッと真空の視点になるのは、絶対音感ならぬ
「絶対空間把握能力」がある僕には、空間がねじれてしまう。まぁこういうのは職業病
と精神病だから自分のセンシティブの問題で、映画にはそこは求めないけど。でも
これがキレイにできてる映画もあるので、やればできるんだけどね。



主役と脇役を知りすぎる。
映画にアンジェリーナが出てきた瞬間、もう推理や展開の楽しみは無くなる。
どうせアンジェリーナがピンチになって、セックスして、大逆転して、ハッピーに終わる。
また、ある脇役の人が出てきたら、30分で裏切り45分で殺される、いつもそう。
「謎に包まれたボス」は毎度毎度エドハリス。


きちがい映画。
僕自身が精神病の本物きちがいなので、演技でキチガイしててもサッパリ
迫力ないし冷める。キチガイにはある一定の法則とか「溜めと解放」があるのだ。
単に大声奇声を出すだけではダメ。たまーに本物のキチガイ映画があって、それは
笑える。デビッドリンチとか。


・元3D-CGプロなので、CG映画や3Dはいまいち。ストーリーないし。
・車のレースをやってからは、カーチェイス映画観ない。自分の方が運転上手い。
・ビリヤード映画も、自分のほうが上手いので観なくなった。
・アダルトビデオは女優はキレイになったよね、でも演出やカメラでイライラするばかり。
・実銃を撃つようになってからガンアクション映画もリアリティ不足で迫力ない。
・サラ金地獄を体験してるので、金融・ヤクザ映画はまったくつまらない。
・ストーカーのトラウマから、女のヒステリー映画は辛くて観られない。
・そんなこんなで考察不足の映画はすっかりつまらない。



だからかな、ヨーロッパとかアジアとかの、一所懸命作ってるっぽい映画のほうが、
未熟だったとしても人間性を肌で感じられるので今は楽しい。そして古い映画も。

ダイハードみたいにすっかり悪のりしたシリーズはファンサービス満点って感じで
面白い。タランティーノとかエドウッド・水野晴郎みたいに映画好きすぎて自分で
創った映画は、どんなにメチャクチャでも、熱い!



・・・・・

映画は、見るタイミングがとっても大切。

あと、生涯の教養と深く関わってくる。



そしてやはり、映画を作りたい!5分でもいいから。ちゃんと演出と構成を整え
て作るならたかが5分でもスゴイ大変なのは判ってる。やってみたいと思い
つつ、なかなか手が出ないのは、なぜか、なにか理由がある。でもいつか
何かのタイミングでハマルと思う。今はながーいい準備期間。
by nopain-nogain | 2014-04-01 04:53 | 映像・音楽・本 | Comments(0)


<< ドル換金の反省 ブリ大根 >>