褒められたら、死ねと言うこと
 
「私は、褒められて育つタイプ」




・・・・・

「僕は、褒められがメインになったら、死ねと言われてるのと同じ」


僕のようなクリエイターは、常に欠点を指摘して欲しい。
それが喜びなのだ。とくに指摘しにくいこと、染みついたクセとか
性的なこととか、そういうのこそ言ってくれたら感謝する。

デリケートな部分こそ、そこを指摘してくれるっていうのはつまり
期待されているから、崩れない信頼があるから。それこそ
本当の僕にとっての誉れだと感じる。

また、褒められもせず批判もされなかった部分については、現状で
ある程度合格点という意味。そういう部分はより細かいディスカッション
の時に、さらに改善点を話し合う。

自分が頑張った部分については、わざわざ褒められなくても伝わって
いると信じてる。それが解らないような、努力が伝わらない相手なら、
表面だけ褒められても嬉しくないし。努力する、ガンバルが当たり前の
生き方の人なら、そこは言わなくてもお互いに尊敬出来るから。

具体的に批判されることで「じゃ、今度は、明日は、そこを頑張ろう」と
明日の具体的な生き甲斐が生まれる。だから次の作品は欠点を
無くしたモノになるけど、そうするとまた別の欠点が見つかるので、
その繰り返し。



「僕は・・・」と書いたが、商売でもスポーツでも、本気で上を目指す人たちは
みんな当たり前にそうだった。いくら身内で褒め合ったって、欠点を克服
しなかったら負けるから。競争の世界では相手の欠点をつくのが当たり前。
だから僕は、本気の人たちと一緒にいるのが居心地よい。

「自分は褒められて育つタイプ」っって言ってる人は、じつはまったく
育ってない。お世辞の世界に嵌っていることに、気が付いてない!
きっと年をとるごとに、自分の居場所がなくなっていく。





僕は、100回批判され、褒められるのは1回くらいでいい。

本当に褒めるべきは、成否の結果ではなく、そこに至るまでのこと。
by nopain-nogain | 2014-07-09 19:25 | 仕事と勉強 | Comments(0)


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