個性とは他人がいて・・・
 
 
もう35年も信頼し尊敬してるクリエイターが「個性とは、他人が居て初めて成り立つ・・・」という趣旨のことを言っていて、ぼんやりと解るような・・・いやどっちかというと解らなかった。個性ってのは個人の中にあるものだから、他人がいなくても一人だけでも個性は(多かれ少なかれ)有る、と、ちょっと反論さえ持った。ただ、その人が言うのだから一流の視点ではそうなんだろう、いつか僕も解るときが来るんだろうか?と記憶のけっこう高い位置に残ってた。



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今日、子供が書いた絵、約1000枚を観る機会に恵まれた。上手い下手や、じゃっかんのズレはあっても、みんな一様に同じ絵で、正直がっかりした。300枚も同じ絵が続くと観るのも飽きてきたので「自分だったらどう個性を出すか」とか考えながら流してたら、800枚目あたりで、ガツンと強烈な個性のある絵をみつけた。これだ!よかった、あってよかった。こういう子供が居てよかった。1000人に一人。1000枚に1枚、か。

もし、この絵を1枚だけ見たら「個性ある」とは感じなかっただろう、そもそもテーマが解らないから。1枚の個性と1枚の平凡だったら、単に二人の違い。5枚に1枚でもまだ感じない。これが100枚に1枚、1000枚に1枚だからこそ、突出して光って見えるんだと想う。くりかえすがコレを1枚だけ見せられても個性は感じられない。(書いた状況が読み取れないというのが最大の理由だが、詳しくは省略)

これこそが「他人がいてこその個性」なのだろう。ピッタリはまった。おそらく10年、理解するのに10年かかった。


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過去の記事でどきどき「センス無い人を見ると、自分にセンスがあると認めざるをえない」という言を書いてきた。他人と比較することは低俗な感じがするので言い控えていたのだが、今日の理解からすると、他人と比較されることもとても大切だということが解った。

今日ビビッときた子供の絵のセンスは、僕など比較にもならないくらいすごかった。800枚目に辿り着く前に自分のセンスをイメージ化できなかったことが非常に悔しい。センスある人に比べたら僕のセンスの無さに敗北感を感じる。が、僕だって小学生の時から絵や図工はいつも入賞だったし、46歳になったいまでもソレでお金をかせいでいるのだから。無くはない。

もし小学生・・・いや幼稚園の時から、自分の個性を存分に出して良い環境だったら、いまごろどんな創作活動が出来ただろうか?それとも早い時点で自己満足や挫折して終わっていただろうか?ともかく、辛い学生時代・団体行動時代を乗り切って、いまでも創作活動ができる人生でほんとうによかった。だから僕は、個性が強すぎることが原因で人生に行き詰まっているクリエイターを助けることを続けたいと想う。

そんなことを帰り道に考えていたら、若手漫画家から飲みの誘いが。有望な若手を大切に、そして厳しく接してきたから、この関係が築けたんだと想う。こういう人と肩を並べて話せること、あるいは尊敬・目標とされていることが、自分のセンス的立ち位置を客観的に確認することができる指標になる。



これらはあくまで一つの指標である。が。最近、自分の人生は成功してる、と思うことが多くなった。

 
by nopain-nogain | 2015-10-14 20:20 | 映像・音楽・本 | Comments(0)


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